価値ある糖尿病 食事
二人の医師の間で激論が交されたというのだ。
「もう少し努力すべきだ。
終末期といっても延命のために最善の治療を行なうべきだ」と三十代前半の医師。
「その必要はない。
痛みを止めて死なせてあげるべきだ」と五十代後半の医師。
最後には三十代前半の医師が「治療打ち切りが早すぎる。
それでは医師ではない」といいだした。
ここで五十代の医師が、「このようなケースはこれまでも日本の医療現場ではよく起こっている。
医師の裁量権の名のもとに治療を打ち切ってきた」と応じた。
この五十代の医師が証言している。
「安楽死という言葉は使われていませんが、このように治療を打ち切るケースはしばしばあります。
むろん家族の諒解を内々にとりますが、こういうことは医師の裁量権の範囲内。
のことだと私は考えているのです」。
安楽死という語を使わないまでも、死期が迫っている患者には痛みを止めるだけの治療に専念する、という暗黙の諒解ができあがっているというのが、この五十代の医師の証言である。
正直にいえば、日本の医療現場にはこのような慣行ができあがっている。
まだ医療従事者として目の浅い経験しか積んでいない医師が、このような慣行になじめず、「どのような状態になっても、患者を一分一秒でも延命すべきだ」という医学教育を忠実に守るのである。
しかも現在の若手医師は偏差値世代の優等生として、「かくあるべき」にこだわり、暗黙の諒解で進んでいる慣行に対して人間的な苦悩を無視して治療を続けてしまうという批判が、五十代以上の医師に多い。
この点で、先のバンフリーが指摘していた「アメリカでは四十五歳以下の医師が理解を二小している」という事実と対照的である。
「O典礼さんは人間的に純粋だったので、暗黙の慣行を明文化したいと思ったのでしょう。
その点では先駆者です。
だが安楽死論争は医師がもっとも避けたいテーマであり、本音でいえば誰もが現実的に容認していることでもあるのですし。
問題は社会的な制約との関わりが医師を擁護してくれるかということで、その点で昭和三十七年の名古屋での山内判決が画期的です。
これが医師たちの尺度になってきたと思いますね」十代後半の医師のこの証言は、私の知る限り多くの医師たちの心情と共通しているように通じえる。
安楽死を語るときに必ず引きあいにだされるのが、山内判決である。
この山内判決とは、昭和三十七年十二月二十二日に名古屋高等裁判所でだされた判決をさしている。
この判決は、安楽死について六要件を示し、これを満たすのであれば法律には違反しないと断定した。
安楽死を考えるときに、この山内判決こそ意義があると、当時は世界各国でも高い評価を受けて報じられた。
事件は次のような内容であった。
愛知県のある町で、農業を営むC青年(山内某・当時二十四歳)の父Dさん(当時、五十二歳)は、昭和三十一年に脳溢血で倒れた。
一時は小康を保っていたが、その後、昭和三十四年に再び倒れ、半身不随となってしまった。
それからは症状はますます悪化し、上下肢は曲がったままで少しでも動かすと激痛が走るようになった。
しゃっくりの発作にも襲われ、昭和三十六年夏、主治医からC青年に「おそらくあと七日間か、それとも十日間くらいの命だろう」と告げられた。
第一審では、検察側の論告どおり尊属殺人罪が適用された。
だがこの判決に弁護側は控訴し、「本件は被告人がその父親の死苦を救うために父親の希望を受けいれて行なったものであり、安楽死に該当する。
尊属殺人の成立する余地はない」と主張した。
これに対し、検察側も控訴して「これは尊属殺人であり、量刑が軽すぎる」と反駁した。
名古屋高裁の小林登一裁判長は判決文の中で次のように述べた。
「安楽死を認めるべきか否かについては論議の存するところであるが、それは人為的に、モ尊なるべき人命を絶つのであるから、次のような厳しい要件にのみこれを是認しうるにとどまるであろう」ここで指摘された要件は六項目あった。
それを判決文からそのまま引用する。
「病者が、現代医学の知識と技術からみて不治の病に冒され、しかもその死が目前に迫っていること。
病者の苦痛が甚だしく、何人も真にこれを見るに忍びない程度のものなること。
もっぱら、病者の死苦の緩和の目的でなされたこと。
病者の意識が、なお明瞭であって、意思を表明できる場合には本人の真筆な嘱託、または承諾のあること。
医師の手によることを本則とし、これによりえない場合には、医師によりえないと首肯するに足る特別な事情があること。
その方法が倫理的にも妥当なものとして認容しうるものなること。
これらの要件がすべて充たされるのでなければ、安楽死としてその行為の違法性までも否定しうるものでないと解すべきであろう」。
判決文では、本件は印ないしは充足しているとしたが、もっとも大きな相違点は「医師の手によることを得なかったことの何ら首肯に足る特別の事情が認められないこと」と「病者に飲ませる牛乳に有機リン殺虫剤を混入するという倫理的に許容しがたい方法なること」の二点において、安楽死としては認められないと断じた。
そのうえで、父親の「殺してくれ」「早く死なせてほしい」という言葉は、確かに父親の真意から発したものと思われるので、嘱託殺人罪の成立が認められるとしだ。
そして懲役一年、執行猶予三年の刑を言い渡した(昭和三十七年十二月)。
この山内判決は、C昔年の行為を安楽死とは認めなかったが、法的には「適法の安楽死の要件」を明確に示す先駆的な判例となった。
安楽死の合法性を認めたとして、日本のメディアだけではなく、国際的にも画期的な判決として報じられたのである。
「六要件」は、現在に至るも裁判上では引用されつづけている。
司法が、安楽死を認める方向に一歩ふみだしたという見方をされているし、何より客観的な基準が生みだされたということでもあった。
先に紹介した安楽死についての論が各様に分かれている中で、幾つかの共通項があると指摘したが、その共通項は、山内判決の六要件が安楽死を論じる際の基本的な上ム=になっているという意味をもっている。
この上は要件が社会的に認知されてから、安楽死論争はしだいに其体的な方向にむかうことになった。
前述のようにO典礼は、山内判決がだされたころに大胆な安楽死肯定論を発表し、病人の苦痛を除去するために安楽死を認めるべきであるといって、日本安楽死協会設立の提案をしたのである。
だが、この段階では、まだそれに応じる医師や法律家は多くなかった。
機運が盛りあがるには、それから十三年の時間が必要だった。
一橋大学教授だった植松止は、刑法学者の立場から、山内判決がだされたときにこの六要件は画期的であると評価し、さらに医師だけが安楽死に関わることができるのであるから、このような見解が医療を行なう側にも徹底されなければならないと主張した。
安楽死を全面的に肯定する論で、昭和三十七年の段階ではきわめて突出した見解でもあった。
Oと植松は、それぞれ医師と法律学者の立場から安楽死を認める論を積極的に展開している。
この二八に同調する識者がふえ、昭和五十年六月に日本安楽死協会が設立されたのだが、これ以後啓蒙運動がより活発になった。
それまでは人工的治療によって延命が支えられている事態がそれほど一般には理解されていなかった。
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第一審では、検察側の論告どおり尊属殺人罪が適用された。
だがこの判決に弁護側は控訴し、「本件は被告人がその父親の死苦を救うために父親の希望を受けいれて行なったものであり、安楽死に該当する。
尊属殺人の成立する余地はない」と主張した。
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